ココロをむすぶ おにぎり。

昨日TVで観た、素敵な女性のおはなしです。
 
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森のイスキアを主宰する佐藤初女さんは、「奉仕のない人生は意味がない。奉仕には犠牲が伴います。犠牲の伴わない奉仕は真の奉仕ではない。」という神父様の言葉に心を揺さぶられ、特別な能力も経済力もない自分に、何ができるか?と考えながら歩いていた時、「私には心がある。心だったら汲めども汲めども無尽蔵にある」と突然ひらめき、この気づきから森のイスキアへと続く道の第一歩が始まりました。
 '83年、自宅を「弘前イスキア」として開放し活動を行っていましたが、10年ほど活動を続ける中で訪れる人が増え、森の中に憩いの場、やすらぎの場をつくりたいと夢見るようになります。この想いが、初女さんを母のように慕う人達の思いによって叶えられ、'92年「森のイスキア」が岩木山の麓に完成しました。
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《“森のイスキア”のホームページより、抜粋いたしました。》

87歳の佐藤初女さんがつくる おにぎりを食べて 泣いてしまう人がいるという。
ただ、こころがこもった食事を食べて、また生きる喜びを見つける人も多いとか。


途中からみたテレビに 夢中になってしまいました。

親の元で暮らすことができなくなった施設の少女達が、森のイスキアを訪ね、
2泊3日、初女さん達と一緒に生活をします。

おぼつかない手先でじゃがいもの皮を剥く女の子。
初女さんは、
「じゃがいもに心があるか、痛みを感じるかわからないけど、できるだけ 傷つけないように、
ありがとうの気持ちを忘れないで、皮を剥くのよ。」
そっと、そっと丁寧に剥かれたじゃがいも。
皮を剥がすように。きれいでまん丸なカタチ。

そして、おにぎり。
やさしく、そおっと、こころをこめて。
海苔も無駄にはならないように。

まん丸なおにぎりは、
とても とても おいしそうです。

何か見えない力で押しつぶされそうなこんな時こそ、
食べることで、いのちをつないでいる毎日だからこそ、
大地の恵みや、自然の恩恵に 感謝をしなければいけないのかも・・・。
と思いました。

ありがとうの気持ちで作られた ごちそうは、
なみだが出るほど おいしいのでしょうね。

そして、初女さんのことば。

めんどくさいという言葉はきらいです。
めんどくさいからといって
ラクな方法・簡単な方法をとってしまうと
何か大切な物をなくしてしまう気がするんです。



おにぎり・・・作ってみようかな?




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この記事へのコメント

yurika
2009年01月12日 22:01
人に愛を与えられる人は、自分にもたくさんの愛を頂いているはず。
真の奉仕とは、奉仕させてもらっているの心かもしれない
犠牲とは?どういう意味か、わかりません(・・?
奉仕に対して犠牲と思わない方が好きです…神父様ごめんなさい。
どんな時でも感謝の心を失わないと良い方向に向かう気はしますが…
めんどくさいは駄目なのですね。反省です(^^ゞ
ちょろえ♪
2009年01月13日 13:07
yurikaさん、ありがとうございます。
言葉の意味って難しいですね。人それぞれのとらえ方の違いのような気もします。犠牲は“やってあげている”、奉仕は“やらせてもらっている”みたいな・・・。私はそんな風な違いなのかな?と考えました。
 実は、じゃがいも 剥いてみたんですよ。なかなか時間がかかりました。じゃがいもの命をいただくような気持ちになりました。が、いくつも剥くのは大変でしょうね
 いつも じゃなくても、たまにはそんな気持ちを想いだすこともだいじなことなのかもしれません。

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